D51を運転

1961年頃。 (1988年執筆)

もう 50年以上前の事。 関係者の方は御存命でないと思われますし、時効でしょうから、書き残しておきます。

この時も、職場見学と云う名目で私はお願いを出していました。
当時頃迄の国鉄は鉄道好きの人にとっては寛容でした。
現場を知って欲しい、と云う事も職務の一部と考えていたのではないかと思います。
勿論、ファンの方達も、敬意を持って訪れていましたし、迷惑をかけないように、と云うのが第一でした。

あちこちの機関区を当時訪れていますが、どこでも一つ返事で許可を出してくれました。
突然顔を出すのではなく、必ず往復葉書を区長宛に出し、返事を待ちましたが、一週間以内に、
時には毛筆での、中学生にとっては丁寧な返事が来ました。

今や現場訪問は、まず不可能という状況になってしまったのは残念です。
世情を見れば、ますます厳しくなるでしょうね。



     「僕」がD5lを運転したお話

田端機関区はこんな所にあるのかというような場所にありました。
普通、機関区と云うと、結構遠くからでも判るのですが。
下町の住宅街を歩いて行くと、突然門があったような気がします。 それも、そんなに目立つ物でなく、
内側には直ぐに建物。 外側からは車輌も見えなかったと記憶しています。
しかし正直な所、扇状庫があったのかどうかも憶えていません。

これは、もう時効ですから書いても良いでしょう。
あの頃の国鉄はノンビリとしていて、(仕事が、ではなくて、気持ちのユトリの問題です。
国鉄の名誉の為に書き添えておきます。 国鉄を好きな人には、国鉄も親切でした)

都会の機関区でも、助役さん自ら構内見学の案内をしてくれた事もしよっちゅうでした。
こちらは十分に気を付けているつもりですが、中学生は中学生、やはり一人でチョロチョロされたら困るのでしょう。

助役さんといえば管理職ですから構内見回りを兼ねての散歩だったのかもしれません。

田端機関区の見学願いをしていた日は日曜日でした。
早速機関区助役室に挨拶に行きますと、当直助役さんが
「来たか。じゃあ、ボチボチ行くか」と帽子を被り、
私を引き連れて表に出ました。

歩きながら、まず注意事項、次はお定まりの「何処から来たの? 何年生?」云々が始まります。
案内の形で先に歩かれ、構内もガランとしていると、少々窮窟な思いです。
勝手に立ち止まって、ゆっくり写真やデータをとる事が出来なくなるからです。

ぐるっと一巡して、貨物の操車場が見えるような位置に来ました。 まだ機関区の構内です。
「一寸待てヨ。何であそこにD51が置いてあるのかな。 庫(くら)の方に動かしておくか」
助役さんは、そのD51の方に向かって歩き出しました。 私も後について行きます。

助役さんは運転室の下に付いているハシゴの所へ行くと、なにやら考えています。
「あそこまで、転がすから運転台に乗せてやるか」

子供をその辺に待たしておくのもまずいと思ったのか、子供へのサービスでしょうか。
ズーンと飛び上がるようなショックが背筋を通りました。
ずーっと見慣れていた、憧れの、あのD51に乗れるんです。
「お願しまーす。」  でっかい声が出てしまったようです。

回りには誰も居ません。 助役さんがまず登ります。 今度は僕の番。
手摺に手を掛けてみるとハシゴ、意外と登り難いのです。(単に上りを登りと書き間違えている訳ではありません) 
ヨッショコサとよじ登ると、案外と広い感じ。 左右に布張りの小さな鉄の椅子が二つ。

「そこに座んなさい」 右側の助手席を指さしました。
座っても外を見るどころではありません。 助役さんの一挙手一投足を食いつくように見守ります。

まずボイラーの焚き口の扉を開け火の確認です。
炭水車に付いているショベルを取り出すと数回石炭を抛り込みました。

私遠ファンが豆炭と呼んでいる、あんかに入れる奴と同じような形と大きさで、ゴツゴツした石炭ではありません。
左手で扉のハンドルをヒヨッと下げては、その瞬間、左右に開いた扉の内側に右手で持ったショベルで
石炭を抛り込みます。
私なんぞがやった日には、ショベルを扉にぶつけて石炭を撒き散らしそうです。
ザクッ、サッ、ザクッ、サッ、と実に見事なリズム。 火室の前後左右に投げ分けていますが、一個も落としません。

(多分、この後で下の写真を撮ってくれたのだと思います)

助役さんは機関士席に座ると、前にある「ウかんむり」のような形をしたハンドルの取っ手に右手をかけ、グルグルと反時計方向にまわします。

「そこの上から下がっている鎖を引っ張れるかな?」この鎖が何であるか勿論私は知っています。
右手を挙げ、ぐーっと引っ張ります。  「ホオーッ」 判っていても、すぐそこで鳴る汽笛の大きさには驚きました。

助役さんの左手は窓の下に付いている二個のブラスのハンドルを スー、スーと左に回しました。
「これがバイパス弁で、こいつはドレイン・コック、シリンダーに溜まった水を抜いてやるのさ」

右手は上下二個付いているブレーキ・ハンドルの上側の小さな方に軽くかかりました。
総ブラスのハンドルは黄色くテカテカに光っています。
「これが、機関車だけのブレーキだ。 単独ブレーキと呼んでるんだよ。下の方が列車ブレーキ。
このハンドルを左に回すとブレーキが解除される」  ハンドルは「緩め」位置に回されました。

右手は、上の方から下がっている大きなテコ状の太い鉄の棒に付いているハンドルに移りました。
加減弁、スロットルです。

助役さんは窓から身を乗り出すと後部を確認します。
そして後ろを見たままハンドルをグッグウーと引っ張りました。

「シュウーシュウー」 とシリンダーから蒸気が押し出され、動輪がゆっくり動き出し、ガタン、ゴトンと云う感じで機関車が動き出しました。
キイキイと軋み音も加わり、スピードが少しづつ上がってきます。

三十メートルも走ったでしょうか。助役さんは窓の下の二つのハンドルを戻しました。
「少し走ったら閉めていいんだ。 もう水抜けてるからね」
次に加減弁を元の位置に戻しました。 まだ窓から顔を出したままです。

又 四、五十メートルも走ったでしょうか。「あそこに標識があるだろう、あそこに止める」

右手は既に単独ブレーキに載っています。 軽くハンドルをスッと右に回します。 左に戻します。 又、右に。
ガグググーというような音をたてながらブレーキが掛かっていきます。
もう殆ど止まると云う所でハンドルをフッと 「緩め」 の位置に戻しました。

機関車はショックも無く停まります。 いとも簡単な動作のようです。
「一寸こっちに来て見てみな」

私は機関車と炭水車の間の渡り板に乗り、手摺に捕まって炭水車の後方を見ました。
炭水車の端が丁度、標識が立っている所に来ています。
「ワーッ、凄い。 ぴったりでーす」
「これで当たり前さ」

何を思ったのか、助役さんがフト呟きました。
「庫に入れる前にもう一寸走らせてみるか。 オイ坊や、機関車動かしてみるかい」

我が耳を疑いましたが、咄嵯に「ハイ」と返事が出ていました。
「ヨーシ、代わりここに座んなさい」 願ってもない事。
小さい椅子ですが坐り心地は悪くありません。 いや、きっと、どんな椅子でも坐り心地が良かったに違いありません。

助役さんは私の右斜め後ろに立ちました。
「ヨーシ、さっき見てたろうけど、まず、その前にあるハンドルをグルグル時計回りに回すんだ。
ネジのようになっている。 逆転器と言うんだけれども。前進後退の印が付いているだろう。
次はそこの二つのコックを開けるんだ。 それは、動き出して暫くしたら閉める。その時は言うから。

そしてブレーキ・ハンドルを”緩め”の位置に戻す。
ブレーキをかける時は、この辺迄右に回す。そのままにしてるとブレーキがぎゅっと掛かかり過ぎるから
適当に 「緩め」 の位置に戻したり、又、掛けたりする。

ブレーキを緩めたら今度は、この大きなハンドルを引っ張るんだ。
これは加減弁と云って、シリンダに行く蒸気の量を調節するんだ。 一杯に引っ張ってもいいだろう。
じゃあ始めるか・・・。逆転器を回して」

両手でハンドルを掴むとグルグル止まる所まで回しました。見た目よりも軽くスムーズにハンドルは回ります。

「前後を確認して」私は窓から顔を突き出すと、前に後ろにと二回づつ頭を回しました。
周囲に他の機関車がいない事は百も承知ですし、人がいないのも知っています。
しかし初めての、それも一生に一度あるかないかの幸運です。念には念を入れろ、です。
前方を注視します。

「前方オーライ」 タイトル・ソングも軽快な「出発進行、青いシグナル」という子供向きの
テレビ連続ドキュメンタリーがありました。 そのマネです。
信号が無いので「出発進行」と行かないのが癪の種。

助役さんも「前方オーライ」と呼応して鎖を引きました。「ホウー」と短く汽笛が鳴ります。
二つのコックを「開け」の位置に回します。右手をブレーキ・ハンドルに乗せ、左に回します。

後は加減弁のレバーを引くだけ。

中学生でも大人並の背がありましたので、手は楽にレバーのハンドルに届きました。
少しづつ動かそうと思っても前上方のものを自分の後方に引くというのは結構大変です。
レバーはグッと重く、結局力を入れて体重を利用する形で引っ張る事になってしまいました。

蒸気がシリンダーに送られていく瞬間です。
「シューッ」 出た! シリンダーの下に付いているドレインから白い蒸気(水ですが)が吐き出されます。
グググーッ、機関車が動き始めました、自分の体が浮き上がった感じです。腰を浮かしてレバーを引っ張っているせいではありません。

シューッ、シューッ、ガタ、ガタ・・・速度が少しづつ上がってきます。「シューッ、シューッ、ガタ、ゴト、キーッ、キーッ」
低速でも運転台の中はうるさいのです。 キーキーといっているのは炭水車への渡り板。 そこら中からガタガタ音がします。

動いているのです。自分の手で動いているのです。 たった一本の僕の腕が百トン以上もある蒸気機関車を動かしているのです。 あの D51が動いているのです。
椅子を伝わってガタゴト振動が伝わって来ます。その振動に合わせて天にも昇る気持ち、というのはこういう事をいうのでしょうか。
その半面冷静でした。大変なことをやっているのです。もし何か起きたら・・・。

「ハイ、ドレインを閉めて」 顔を出したまま 「閉めました」
もう 三十メートルも走ったでしょうか、あっという間です。
「あそこの柱の横に窓が来るように止められるかな」

その柱は前方 五十メートル位の所に見えます。 さっきタイミングというものを良く見ていましたし、
電車に乗る時は何時も運転台の後ろで運転士のする事を 一から十 迄観察していたので、自分にも出来る筈。

「ハイ」 蒸気機関車は運転台の前に長いボイラーがあります。 電車は目の前がすぐ線路。
ボイラーがある分だけ見通しが悪いのですが、逆に目標に合わせ易いと考えたのです。

加減弁レパーを戻します。 ここぞと思った所でブレーキ・ハンドルを右に 三十度程持って行きました。
グググーッとブレーキが掛って行きます、しかし 「緩め」 に戻す間もなくブレーキはどんどん効いて行きます。
アッ掛かり過ぎだ。 慌ててハンドルを「緩め」に戻します。
しかし時既に遅し、停止寸前です。 柱は、と見るとボイラーの前方 五メートル位の所。そんな筈じゃないのに・・・。

「そのままやり直すか。」
悔やしいのと、こんな事を簡単にやってのける運転士さん違への「矢っ張り凄いナ」という気持ちが交錯し、
直ぐには返事が出来ないでいると、

「しかし、距離が一寸近過ぎるから坊やには無理だな。これでやめよう。 私が戻して来るから、ここで降りて、さっきの部屋で待ってなさい」
「はい。ブレーキって難しいんですね。見てたら、すごく簡単に見えるけど」
「機関車ってのは重いからね」 

もう一回運転台の中を見回して、私は運転台から飛び降りました。
助役さんは運転席から下を見て笑っています。汽笛が鳴りました。
D51は又、ゆっくりと後づさりして行きます。その後の事は余りよく憶えていません。

只、あんなに時間がかかって解り難かった道が、帰りはあっという間に上中里でした。きっと飛ぶようにして帰って行ったのでしょう。

運転した機関車のナンバーは、助手席から撮影した写真のネガ袋に控えてあったナンバーを読むとD5190と書いてあります。